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ジェームズ・グレアム作  ジェレミー・ヘリン演出
ベスト・オブ・エネミーズ

8/31(木)TOHOシネマズ 日本橋にて学習院女子大学教授・石澤靖治氏と東京大学教授・河合祥一郎氏のトークイベントが開催されました。!収録した動画と、テキストでの概要がご覧いただけます。また、ページ下には石澤先生の特別寄稿もございます。本編鑑賞前後、どちらのタイミングでもお楽しみいただける内容です。

8.31開催 NTLive『ベスト・オブ・エネミーズ』トークイベント 動画

NTLive『ベスト・オブ・エネミーズ』トークイベント ダイジェスト テキスト版

石澤靖治先生(学習院女子大学教授)x 河合祥一郎先生(東京大学教授)

 

(以下、敬称略)

 

河合)

本作は1968年のTV討論会を中心で描かれた作品。この討論会では民主党VS共和党の図式で討論をする二人が登場します。

 

石澤)民主党はバイデンさんの政党で、共和党はトランプさんの政党。以前はこの2つの政党の意見が大きく異なるということはなかったんです。父親が支持する政党を子供が支持するような感じで。1950年代くらいまでは、民主党だろうと共和党だろうと思想的に違いが色濃くあるわけではなかったんですね。

 

河合)

ウィリアム・バックリーJRはカトリック教で軍隊にも入っていて保守派、それに対してゴア・ヴィダルは帝国主義的なやり方に反対するリベラル派ですね。

この二人が討論をしていくとなると、かつてはそうではなかった2つの政党がこの68年ではリベラルVS保守という図式が強くなってくるということですか?

 

石澤)

ウィリアム・バックリーJRという名前を河合先生がさらっとおっしゃったけど、実は僕もアメリカのことを勉強する前は全然知らなかった人で、おそらく今日のお客様の中でも知っている人は少ないんじゃないでしょうか?でも、アメリカでは保守という流れが大きくなってきたとき、じゃあ誰が大きくしたんだ?という話になると、この保守の拡大に貢献したのがウィリアム・バックリーJRだということになっているんです。一方でゴア・ヴィダルは文筆家としては有名だけど政治的にはあまり知られていない人だと思います。

 

そして、この作品が描かれている1968年という年に注目するのも大切です。1968年という年がとても重要な年だったんですね。一つは、メキシコオリンピック*があった年。陸上競技でアメリカの選手が黒い手袋をして表彰式で右手を挙げるという、人種的な意味で黒人であることを主張する象徴的な出来事がありました。

(「*1968年は政治的に極めて重要な年でした。中国は文化大革命の真っただ中。チェコスロバキアの自由化の試みはソ連軍によって踏みにじられ、フランス政府は学生のデモ活動に圧倒。アメリカでも平和と公民権を求めるデモが活発化しました。」という説明がolympics.com にも記載があります)

 

あとベトナム戦争もありますね。これはアメリカが唯一負けた戦争ということになっていて、世界で最もパワフルな国アメリカが負けるというのが不思議ですが、時代の流れの中で戦争を拡大できなくなったというのが敗因です。そのターニングポイントが1968年1月末から数日間行われた“テト攻勢”と言われる北ベトナム側の大攻撃で、これがきっかけでアメリカ国内および世界で「なんであんな戦争をやっているんだ」という論調が強まり、国内でも支持がなくなり、アメリカ社会全体に対しても不信感が渦巻くようになったんです。

 

また1963年8月28日にワシントン大行進というのがあって、その指導者マーティン・ルーサー・キング・ジュニアがこの5年後の1968年4月に暗殺されるという事件が起きています。人が暗殺されるということは世界的にも非常にショックな出来事で、その傷が癒えないタイミングの68年6月にロバート・ケネディ(ジョン・F・ケネディの弟)が大統領になるんじゃないかと思われていた矢先に暗殺されてしまいます。

 

河合)

彼は劇中の中でも「ボビー」と呼ばれている。ゴア・ヴィダルとは親戚なんですね。

 

石澤)

国内的には重要な二人が暗殺され、国際的にはアメリカの信頼を落とすようなベトナム戦争の敗色が強くなり、両方の出来事がちょうど一緒に起こって、混乱の極みになったのが1968年という年です。

 

もう一つ、1963年のワシントン大行進の後、64年に公民権法が成立し、それは社会的に大きな影響があり、移民法も改正され、それまでは西ヨーロッパの白人を中心にしか入れていなかったアメリカに変化が起きました。フェニミズム運動も公民権運動に触発されて60年代に広がっていき、さらにゴア・ヴィダルの話にも出てくるけれど、アメリカにおける同性愛の運動もこの68年の翌年から大きくなっていく。それまでアメリカでは蓋をされてきたマイノリティの問題が64年以降にボコボコ出てきて、68年に国内で広がりをみせて、世界からすれば「良いことじゃないか」という流れに見えるけれど、実際にアメリカの中では「それは本当のアメリカじゃない!」という声も出てきて、本当のアメリカの姿とは何なのか?という命題に突き当たるんですね。1950年代のアメリカがベストだと思っている人たちからすれば、「アメリカが違う方向へ行ってしまうんではないか」と思う訳で、そう言った層が60年代頃から出てきて、それが今の保守派の流れになっています。アメリカで世論調査をすると「私は保守です」という人が実は多い。一方で、日本でアメリカについて調査するとリベラルの印象が強いんです。なぜなら日本人にとってのアメリカはニューヨークとかカリフォルニアなどのリベラルな印象が強いからです。しかし、実際は日本人が抱くアメリカのイメージは、アメリカでは多数ではないんです。リベラルな勢力は1960年代になって広がってきたのであって、それに対する反動が1968年になって出てきている。そういう意味でも68年はとても重要な年なんです。

 

河合)

ヴィダルとバックリーJrの討論は、実際に討論している映像がネットで調べると出てくるので、そこで使われているセリフとかも、この劇中で使われていたりして、とても興味深いのでぜひ見てみてください。

ウィリアムは今回、黒人の俳優さんがやっているんだけど、実際はバリバリの白人。この配役については謎ですね。

 

石澤)

それは本当にわからないですね。なぜウィリアムを黒人俳優にしたのか?保守派のイメージは白人なんですよね。リベラル派は黒人の味方だから、黒人のイメージがある。これをわざわざバックリーJrに黒人の俳優を配しているというのは、ものすごい大冒険で、大冒険というか、メッセージがあるとしか言わざるをえない。もしかしたら、「今はそういう人種で物事を語る時代じゃないんだ」という意味で配役したのか? とはいうものの、ブラック・ライブズ・マターがあるように、黒人は前以上に差別が厳しいこともあるからそれを見逃すのはおかしいだろう、と。どの辺で手を打とうと思ってキャスティングをしたのか、とても興味深いです。

 

1968年はアメリカとか政治にとって転換点であったのと同様に、2016年にドナルド・トランプが勝利したことも大きな転換点でした。この二つには共通点があって、アメリカでは常に白人の中間層がいろんな意味で怒りや不満を持っていて、白人に限らず金銭的・社会的に恵まれない人をリベラルの人が吸い取るという図式があったのに、2016年の大統領選挙でトランプの勝利の際には、その中間層をトランプが取ってしまったということなんです。トランプは言ってみれば保守主義者ではなく、反リベラルを取り込もうと思っている人なので、まあ上手くやったということなんですね。2016年に既存の構造が崩れかかり、2024年の選挙がどうなるかでアメリカの構造も変わるし・・・今後の世界情勢に与える影響として最も影響力があることが実はロシア・ウクライナでもなく、中国でもなく、今後のアメリカがどうなるかが一番重要だと言われています。だから、1968年にアメリカのある一つの大きな転換点があったとしたら、今まさにまた世界にとって重要な転換点が訪れようとしているということなんです。

 

河合)

民主党は貧困層を支えるイメージがあったけれど、最近は貧困層が共和党をサポートするような様子も見える。これはどうなんでしょうか?

 

石澤)

それはその通りなんです。例えば、オバマさんのスピーチは英語が難しい。一方で、トランプのスピーチは小学4年生でもわかる英語を使っているんですね。そういうところでも支持者の層の変化が生まれたと言えるでしょう。

 

ところで、今回のポイントのもう一つは、アメリカのTV局が出てきます。この二人の討論会を企画したのがアメリカのABCというネットワーク。これはアメリカの3大ネットワークの一つとして描かれているんですが、アメリカのネットワークはNBCが最初で、その後CBSが出てきて、NBCから枝分かれして出てきたのがABCで、この頃は弱小のテレビ局だったんです。それが視聴率を稼がなくちゃいけないということで二人にバトルをやらせて、それが人気になりました。人気になって、日常的にリベラルと保守派の人を喧嘩させる番組をどのテレビ局もやるようになったから、今、その原型がここにあるんだよということで1968年が取り上げられたのかなと思いました。

 

河合)

政治とマスメディアというのはものすごくリンクしていると思うんですが、ある意味この1968年のTVショーが政治とマスメディアの関係においても大きな転換点となったということなんですね。

 

石澤)

1960年に初めてテレビ討論会というものがあって、ケネディとニクソンが出てきて、ケネディの見栄えが良かったから勝ったとか一般的に言われることもあり、そこからテレビのインパクトがものすごく大きいという認識が持たれるようになりました。政治側からすると、それが怖いなという側面もありますね。ですから、1960年の討論会以降、64、48、72年は大統領候補同士の討論会はなかったんです。そんな中、68年にABCが「じゃあ、いい案がある」と思いついて、バックリーJrとゴアの討論番組をやり、それが視聴率では当たるけれど一方で政治が見せ物になり、人々の間で政治を馬鹿にする風潮も生まれました。

 

河合)

トランプとかを見ていても、いかにメディアを操作するかということが重要に思えますよね。だから、本作はいいところを衝いたなって思いますよね。

 

石澤)

まあ、確かに。でも本作で描いていることは「こんなことやっていたんだよ」っていう今のアメリカに対しても痛烈な皮肉にもなっていますよね。

 

河合)

石澤先生がおっしゃるメディアという重要性を考えたときにも、舞台の中にステージがあって、この芝居のセット、転換がとても良くできているので、そこも観客には注目してみていただきたいです。

あと、ゴア・ヴィダルはオスカー・ワイルドの再来と言われているんですが、そう言った部分も、本作を掘り下げてみていただくと、とても面白いと思います。

トークイベント写真2.jpg

特別寄稿

現在のアメリカの原型を1968年に見

 

石澤靖治(学習院女子大学教授)

 

 事前の情報や知識もなしにこの映画を見た時、題材は55年前のアメリカの出来事なのに、現在の話だと認識する人も多いかもしれない。それだけこの作品は現在のアメリカ社会の分断、それを助長させるメディアの軽薄さ、それによって形成される世論のありようを示しているからだ。

 実際の中身は、アメリカ国内で思想的な対立が激しくなる中、米ネットワークで後発のABCがそれぞれの陣営の論者2人を呼んで論争させるが、最終的には冷静な論戦ではなく、激しい感情的な言い争いとなってしまったことを演じたものだ。だがABCは予想外の視聴率を獲得したことに狂喜する。一方、社会の混乱はより激しくなる。その姿は2016年の米大統領選でドナルド・トランプが当選を果たしたことで社会の分断が明確になり、それが収まるどころかさらに深刻化する現在のアメリカの姿そのものである。だが繰り返すが、これは1968年の話である。

 本来なら、この映画を見る前にこの1968年のアメリカの状況を少し理解しておくと、さらに深く味わうことができるだろう。1960年代のアメリカはリベラル化が大きく進んだ。具体的には1964年には民主党のリンドン・ジョンソン政権下で公民権法が成立して、黒人の地位向上が図られた。フェミニズム運動も本格化する。またこの作品に出てくるベトナム戦争については、アメリカが1965年に本格介入して北ベトナムのホーチミン政権と激しい戦闘を繰り広げるが、この1968年になると主としてリベラル派で反戦運動が大きく広がり、それがこの年の大統領選挙の争点にもなった。

 そんな中、この年の民主党の大統領候補を決める党大会が8月にシカゴで開催された。現職の大統領ジョンソンはベトナム戦争での不首尾のために出馬を断念。反戦の立場で支持を集めていた前大統領の弟であるロバート・ケネディは凶弾に倒れる。一方、党の幹部は、ジョンソンとともにベトナム戦争を遂行してきた副大統領のヒューバート・ハンフリーを民主党の候補者に押し立てようとする。そのためこの民主党大会は大荒れに荒れた。

 そうしたことに対して、それより前にフロリダで行われた共和党の党大会で大統領候補に選ばれていたリチャード・ニクソンは、アメリカには「法と秩序(law and order)」が必要だとして、反戦・リベラル化する民主党と強く対立する姿勢を示す。

 そんな中で、ベトナム戦争への反戦や自身の同性愛なども含めて、リベラルの論客としてその名を馳せていた小説家・エッセイストがゴア・ヴィダル(正式な名前は、ユージーン・ルーサー・ゴア・ヴィダル)である。彼は連邦上院・下院議員を目指して二度の選挙戦出馬の経験があるなど、政治活動にも強い関心をもっていた(ともに落選)。

 一方、1960年代にアメリカが急速にリベラル化したことに対して、「それは本来のアメリカのあるべき姿ではない」と強く主張する人たちも出てきた。その中心人物が、アメリカにおいて保守思想を広めた立役者であるウィリアム・F・バックリーJr.だ。アメリカでかつて保守の思想は忌避されていたが、バックリーJr.はメディアに数多く出演し、保守の意味合いを知的に洗練された形で人々に伝えていった(このあたりのニュアンスは作品とは多少異なる)。また1955年には雑誌「ナショナル・レビュー」を創刊して保守主義の浸透を図った。そうした2人に代表される思想の対決としての1968年の激突討論だったのである。11月の大統領選挙では共和党ニクソンが僅差で民主党ハンフリーを破り勝利するが、1968年はアメリカ社会の大きな転換点だったと言える。

 その後のアメリカは、1974年にニクソンが失脚したあと、1976年には民主党のジミー・カーターが当選。1980年にはバックリーJr.が推し進めた保守運動の完成品として、共和党のロナルド・レーガンが政権につく。その後共和党H・W・ブッシュ、民主党ビル・クリントン、共和党W・ブッシュ、民主党バラク・オバマと、保守派とリベラル派がそれぞれ政権を取り合う。しかしながらその過程で、アメリカにおける保守とリベラルとの対立はより深刻なものとなり、社会の亀裂の修復は難しくなった。同時に政治をショーとして扱うようになったアメリカの、特にテレビメディアはその対立をさらに過激に演出して視聴率を追求していく。

 そして2016年、テレビのリアリティ・ショーで人気者となったドナルド・トランプを、テレビメディアが面白く持ち上げたことで、彼を巨大化させ、大統領の座につかせることとなった(トランプは反リベラルの主張を掲げるポピュリズムとして成功したが、必ずしも保守派とは言えない)。アメリカ社会の分断は決定的なものとなる。またアメリカ人はメディアを「最も信用できない機関」(2019年コロンビア・ジャーナリズムレビュー)と位置付けるに至る。こうした悲しい現実の原点が1968年にある。この作品のメッセージはそういうことなのだろう。

 最後に1つ付け加えておきたい。それはバックリーJr.に対して黒人のデヴィッド・ヘアウッドがキャスティングされていることである。一般的には保守派には白人、リベラル派には黒人がイメージされる(もちろんそのように限定されているわけではないのだが)。そしてバックリーJr.自身、白人である。そのキャスティングにどのようなメッセージがあったのか、私にとってはそれが最大の興味である。

お座席は鑑賞予定の劇場のHPよりご購入ください

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