ジョディ・カマー主演
『プライマ・フェイシィ』

『プライマ・フェイシィ』予告編

PrimaFacieArtwork.jpg

作:スージー・ミラー/演出:ジャスティン・マーティン

主演:ジョディ・カマー

照明:ナターシャ・チヴァース/音楽:レベッカ・ルーシー・テイラー/サウンド:ベン・リンガム&マックス・リンガム

上演劇場:ハロルド・ピンター劇場

上映時間:約2時間2分(休憩なし)

レイプ犯の弁護を専門とする弁護士テッサは、自らも性的暴行の被害者になってしまう。男優位の社会で作り上げられた法律の問題点に切り込むジョディ・カマーによる一人舞台。

公開劇場

8/5(金)〜 

 東京)TOHOシネマズ 日本橋

 大阪)大阪ステーションシティシネマ

 福岡)中洲大洋劇場

8/19(金)〜 

 京都)アップリンク京都

8/26(金)〜 

​ 東京)シネ・リーブル池袋

 兵庫)シネ・リーブル神戸

人気ドラマ『キリング・イヴ Killing Eve』でプライムタイム・エミー賞ドラマシリーズ部門主演女優賞と英国アカデミー賞テレビ部門主演女優賞を受賞し、リドリー・スコット監督の『最後の決闘裁判』でヒロイン役を演じた今最も旬な女優ジョディ・カマーが主演する舞台『プライマ・フェイシィ』が、日本の映画館で8/5(金)から公開することになりました。世界では7月21日(木)から劇場公開される本作が、字幕制作が必要な日本で2週間後に公開されるのは、ナショナル・シアター・ライブ・ジャパンとしても初の試みとなる本国公開からの最速公開となります。

ジョディ・カマーは、14社が争奪戦を繰り広げHBOが放送権を獲得した小説「Big Swiss」のドラマ化で主演が決定したり、ベネディクト・カンバーバッチの制作会社が参加する映画『The End We Start From』にも主演が決まっていて、ますます注目度が上がっている女優です。ジョディ・カマーから今回の公開についてメッセージも届きました。

 

本来は生でチケットを入手した人しか観られない演劇『プライマ・フェイシィ』を、NTLiveを通して世界中の人に観てもらえる機会ができることをとても嬉しく思っています。

(ジョディ・カマー)

 

スージー・ミラー作の『プライマ・フェイシィ』は2018年グリフィン・アワード、2020年オーストラリア・ライターズ・ギルド・アワード、2020年デヴィッド・フィリアムソン・アワード(Outstanding Theatre Writing部門)などを受賞し、今年ハロルド・ピンター劇場で英国の初演を迎えました。ジョディ・カマーにとってはウエストエンドデビューとなる舞台です。

 

主人公テッサは若く優秀な法廷弁護士で、労働者階級から身を起こし、ひたすら戦い続けてトップクラスの弁護士になりました。しかし予期せぬ出来事で、彼女は家父長的な法の力、立証責任、モラルの境界線などといった法律と社会が抱える矛盾などに直面することになります。本作でジョディ・カマーは、感情や経験が社会のルールと衝突し引き起こす問題の核心に迫ります。

ジャスティン・マーティン(2017年の舞台『ジャングル』をスティーブン・ダルドリーと共に演出)が演出を務めるこの作品は、ロンドン・ウエストエンドのハロルド・ピンター劇場から撮影されたものです。ぜひこの機会に日本に居ながらにして英国の話題の演劇をお楽しみください。

【ライターズ・ノート:スージー・ミラー】

 

“プライマ・フェイシィ“ = ※法律用語で「反証しないかぎり一応事実とされること」という意味

 

『プライマ・フェイシィ』の構想は、私が戯曲を描き始める前、ロースクールで学んでいた時からずっと頭にありました。書く勇気が持てるまで、そしてこの物語が受け入れられる適切な社会的な環境が整うまで待っていた作品です。#MeToo運動が注目されたおかげで、この『プライマ・フェイシィ』をついに世に出すことができました。弁護士として人権問題と刑事事件に関わっていくうちに、女性の視点から法制度に対する疑問が湧いてきまた。なぜならば、私自身、「疑わしきは罰せず」という人権を守るための原則を固く信じている一方で、この原則を性的暴行事件に当てはめると、むしろ裁判の公正さを損なっているのではないかと、常に感じていたからです。

 

この戯曲を読む前に、あるいはこの劇を鑑賞する前に警告しておきます。この物語では性的暴行事件の詳細に触れています。それは、被害者女性の恐ろしい経験を法律がどのように解釈していくかを見せるためです。

 

現在の法制度は男性中心の視点から作られています。女性は夫、兄弟、そして父親の所有物であるとみなされていた時代を背景に、何世代にも渡り、男性判事たちが判決を下し、何世代にも渡り、男性政治家たちが法律を制定してきました。そのため、性的暴行に対する法律が、女性の現実とフィットしないのです。(性的暴行罪の)無罪か有罪かは、加害者側である(一般的に)男性側が、合意の上での行為だと信じるに足る十分な理由があったかどうかに焦点が当てられ、判断されます。被害者である(一般的に)女性側は、常に厳しく詰問され、屈辱的な経験を追体験させられ、しまいには加害者とされる人物をおぞましい犯罪で告発した動機について被害者自身に思惑があるのではないかと疑いをかけられることもあります。しかし重要なのは、性的暴行事件では女性が証拠を見せても、信じてもらえないことです!しかも同じ女性にさえ。

 

性的暴行事件は、裁判が先延ばしされ、証言のために出廷し、尋問され、メディアに書かれて、被害を公にされます。それを耐えるには、かなりの勇気が必要です。短期間で終わるものではなく、皮肉なことに法が正しく裁いてくれるとただひたすら信じて訴えるしかありません。しかし、実際の法制度はそれほどの信頼に値するものなのでしょうか?もしくは、女性は黙っているしかないのでしょうか?どうしたら社会が、そして法制度が、この分野の法律の改正に進展することができるのでしょうか?

 

『プライマ・フェイシィ』の初演は、グリフィン・シアターです。そのシアターはオーストラリアの劇作家のための劇場で、特別公演として1ステージだけ、法律に携わる女性に向けて上演しました。その夜の観客は、女性判事、QC(品質管理)、SC(法務・コンプライアンス)、法廷弁護士(バリスタ)、事務弁護士(ソリスタ)、州議会と連邦議会の政治家たちでした。全員が女性です。公演後には、私はステージに上がり、この作品についてディスカッションを行いました。長い、白熱した議論が私の前で展開し、それは、芸術と社会的な改革がまさに交差する時間でした。また、その週の後半には、法改正委員会のメンバーが平日のマチネの回に見にきてくれたのです。さらにその週の後半には、教師と親たちの引率付きで、数校の男子校の生徒さんたちにもこの舞台を観てもらうことができました。思いやりと知りたいと思う好奇心が、未来の世代にとって希望の灯火になりました。

 

『プライマ・フェイシィ』の主人公テッサ・エンスラーは若く正義感に燃える刑事法廷弁護士で、法と対峙することに没頭しています。自分が正しいと信じることのために戦い、社会的正義感に満ちているのです。

彼女は一流校の出身でも、いわゆる社会的富裕層の出身でもありません。しかし、彼女は不利な立場からロースクールを主席で卒業し、大手事務所からの注目も高く、就職のオファーもありましたが、よりチャレンジングな道を選びました。それは常に依頼人の弁護のために、警察と彼らの手口を警戒しながら、正々堂々と法の下で正義のために戦う刑事裁判の道です。

 

法制度とは、極めて神聖なルールの下で与えられた役割をしっかり演じ切ることで成立する世界です。そのルールに則り出世の階段を登った時、そのゲームの絶対的なルールを、むしろ変えたり、壊したりしたほうがいいと気づいてしまった時、そして法律は常に公平だとは限らないという現実に直面した時、何が起こるのでしょうか?

 

弁護士として名を上げていくテッサ。しかし、法の世界のルールに則って慎重に采配を振るってきた彼女の信念が次第に揺らぎ始めます。彼女は、実体験と法制度の間の溝にハマってしまうのです。突然、彼女自身、法制度を試すような事態に陥り、いっぺんの隙もなかった信念の壁が崩れ始め、寄るすべがなくなってしまいます。しかし、このことによってテッサは、法律の性質、人間の行動の不完全さ、そして常に変わっていく社会の流れが見え、自分の声を見つけ、私たちに行動を起こすように呼びかけるようになるのです。